白湯と静けさのリズム|春の目覚めと禅のことば
はじめに
春。草木が芽吹き、空気がやわらぎ、心身もそっとほどけていく季節。そんな朝に一杯の白湯を手に取ると、自然の静けさと自分の内側が重なるような感覚があります。今回の白湯シリーズでは、“静けさのリズム”をテーマに、春の気配と禅のこころをたどっていきます。
1. 春は“めぐり”の始まり
- 春は冬に溜めたものをゆっくりと解き放つ季節。
- 白湯は、体内のめぐりを助け、心の巡りも優しく後押ししてくれる。
- 朝、白湯を口に含むと、喉の奥にほんのりとしたあたたかさが広がり、目覚めの儀式となる。
2. 禅語「動中の静」——動きの中の静けさ
- 春は自然が動き出す季節。しかしその動きは決して騒がしくない。
- 禅の言葉「動中の静(どうちゅうのせい)」は、あらゆる動きの中にも“静”があるという教え。
- たとえば、風に揺れる木の葉、川のせせらぎ、小鳥の羽ばたき。 どれも“動き”の中にありながら、見ていると心が静まるのは、そこに“静”があるから。
- 昔の禅僧は、箒(ほうき)で庭を掃く所作のなかにも心を整える“動中の静”を見出していたという。
- 白湯をゆっくりと飲むその所作のなかにこそ、静けさが宿る。
3. 空間と白湯がつくる“間(ま)”
- 湯気が立ちのぼるその瞬間に、空間がふっと整う。
- 白湯は、ただの温かい水ではなく、「間」をつくり出す道具でもある。
- ゆっくり飲む時間のなかに、「考えない」という豊かさが生まれる。
4. 白湯で味わう“目に見えない気配”
- 春風の気配、光のやわらかさ、静けさの中にある生命力。
- それらを感じ取るには、五感よりも“第六感・第七感”が働いているのかもしれない。
- 白湯を飲むことは、その感覚を目覚めさせる“入口”となる。
まとめ|白湯という静かな対話
一杯の白湯は、季節の移ろいを受け入れ、今この瞬間を味わうための“静かな対話”。 春の気配と呼応するように、白湯のあたたかさが心に沁みわたっていく。
禅の言葉「動中の静」のように、動きと静けさが共存する日常の中で、 白湯という小さな習慣が、やがて心の奥深くに静寂の余白をもたらしてくれるでしょう。
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